私の自己紹介です

Last updated on April 22, 2017


 容姿はちょっと見には日本人離れした良い男です??(父方が白髪で母方が禿の系統でした。白髪になったなぁ〜と思ってたら、最近は髪の毛がなくなって禿げてがっくりしています) 喋らせなければとても素敵な男なんですが、喋らせるとぼろが出てきます。何年も前にイタリアを旅行した時は、何の違和感もなく街中に溶けこむ事ができました。ただ、難点は外国語を喋るのが苦手なのです。英語もうまく話せないのですから、もちろん、イタリア語など全く話せるわけはありません。先月、退職前にイタリアを嫁さんが運転して旅行をしてきましたが、イタリア語と英語を話す嫁さんにおんぶに抱っこでした^^; 英語は50年も前から英字新聞を読んだりしてから、読むのはそれほど困らないけど、実際に聞いたり喋ったりするのと読むのとは、全く異なるものだと納得してる次第です。最近、インターネットでBBC Radioを聞くようになってちょっとは会話が分かるようになってきたかなと思っています。
 仕事は何をしてるかといえば、人を無理矢理、薬で眠らせてしまったり、感覚をなくしてしまったりすることをしてきました。退職してのんびりという生活にあこがれましたが、スタッフが足りないこともあってまだ日雇いで仕事をしています。週何回か仕事をして、あとは遊んだりするという生活にあこがれています。
 今、私がはまっていることはバイク(自転車)を組み立てたりして乗ることでしょうか。仕事の関係でなかなかパラグライダー(後で書きます)に行くこともままにならなくなりました。インターネットで、昔の仕事仲間のBBSでロードバイク(自転車)の話を書いてるところに顔を出したりしてることもあったので、手近な運動ということでバイクに乗り始めました。バイクに乗るようになってそのまま乗るのではなくパーツを交換したりしていじり始めました。パーツはお小遣いで十分間に合う価格で手に入りますし、もともと工作が好きなので色々と触るのは楽しくなりました。
 どんどん自転車に乗るのが楽しくなり長距離も走るようになりました。ブルベというフランスのパリ・ブレストの1200kmを96時間で走るというものがあります。その大会の出場資格を得るための組織の関西の部門を立ち上げた人と知り合いになり、琵琶湖200kmを走る大会に参加したら完走できました。自転車を初めたときに日帰りで日本海を見て帰ってくるというのを妄想したことがありました。可能かもしれないということで城崎を目指して走ってみました。パラグライダーに行くときに通った青垣町を通過して行くので、往復で300kmぐらいかなと考えてましたが思ったより距離がありました。走っても走っても着かないので諦めかけたのですが、途中で仮眠を取ったりしながら何とか363kmを23時間15分で走って日帰りができました。お尻が痛かったなぁ〜(笑)。
 ブルベで走っているから大丈夫だと思って吉野山岳グランフォンドを走りました。700mの峠越え1回と1000mの峠越えを2回して150km走るコースで最後尾になり、すぐ後を回収車が走っていました。その時はトリプルのクランクのクロモリのロードで走っていました。最後尾だったので途中で距離を20km余り縮めての完走となりました。その時、多くのライダーがカーボンフレームのロードに乗っていました。何とも悔しくてカーボンロードがどういうものか乗ってみたくなりました。中古のTREK5500のカーボンフレームを手に入れました。アームストロングがツールドフランスで7連覇した時に初めて勝ったときに乗ったフレームでした。クロモリのロードからパーツを外して組み立て乗ってみるとその違いは圧倒的でした。走ってみると維持できるスピードとかがまったく違っている異次元の世界でした。
 何本かフレームを買って組み立て乗ってみると徐々にフレームの良さやホイールの違いが判るようになりました。懇意にしているお店で安く手に入れたり、イギリスのショップが安いことが分かってフレームを輸入したり、オークションで名車といわれるフレームを手に入れたりしてます。そんなで、現在、5台のレース用?のカーボンフレームのロードに乗っています。
 輪行用にとケルビムのCRというミニベロを持っていましたが事故って潰してしまいました。もう少し軽量のCRIというのをオーダーして作り直しました。門岡式輪行袋に入れていますが、門岡さんが亡くなられたのは非常に残念に思っています。山道用としてリジットのMTBを作って持っていますが1〜2回しか乗ってないかもしれません。
 速く走ろうとして何度か無理をして事故をして大きな怪我をしてしまいました。今まで4度ほど大きな事故を起こしてしまい、仕事に穴をあけたりしたので、周りから自転車を止めたらと云われしまいました。現在は左の肩関節は脱臼したまま、腰椎は2椎体が圧迫骨折して潰れているという状態です。左のS1領域に神経根症状が残ってしまってりしてます。腰痛体操や柔軟体操をして何とかなるようになりました。自転車に乗って痛みがでることはあまりないようです。コサイの仲間と鈴鹿5時間エンデューロを走っても問題なかったですし、ロードバイクに本格的に乗れるようになっています。自転車に楽しい遊びなのでこれからは怪我をしないように人に迷惑をかけないように走りたいと思っています。なかなか落ち着いて走ることはできず、R170のバイパスで新しいバイクで71.3km/hrまで漕いでスピードを出したこともあります。またもや左手の親指を骨折してしまい、ちょっと不便な時期がありました。ケイデンスを上げて走っているとスマートな身体を手に入るようです。ロードを毎週乗っていると60sを切るぐらいになるようです。
テイクオフ  もう一つの趣味はパラグライダ−でした。自由に空を飛んでみたいという子供の頃のあこがれがパラグライダーでひょんな事でかないました。伏線は半世紀も前になると思いますが、湘南の藤沢に、家から自転車で行くこともできた藤沢飛行場という小型機専用の飛行場がありました。今の家のそばにも八尾飛行場というのがありますが。そこで、日本飛行連盟がバイパーというのか良く分かりませんが、タンデムの軽飛行機で自家用飛行機の操縦免許証の講習をやっているのを眺めていました。その頃、ノートに飛行機の絵を書いたり、飛行機の月刊誌を買ったりして、何時かは自分で作った飛行機で空を飛んでみたいと考えていました。大人になってからすっかりそんなことは忘れ去られていたのですが、パラグライダーを始めて、そんなことがあったのだと思い出しました。
 若い人のようにすぐには上達することができず、一定のエリアなら自由に飛ぶことができるというパイロット証という資格を手にするのに、3年近くも掛かってしまいました。資格を取ることはできましたが、なかなかうまく飛ぶことができません。パラグライダーの道具は常に新しいものが誕生して来てます。以前なら一部の競技をしているパイロットしか乗れないような滑空性能を持った機体が、初心者でも扱えるようにと出てきています。しかし、機体の性能が上がるとともに値段も上がってしまい、気楽に買い換えることができなくなったのが残念です。また、機体の性能の方が優ってしまい、それを操縦する技術の方がついて行けなかったり、無理をする一面もあり、事故が起こったりするようです。パラグライダーを始めて、事故の多いのにはびっくりしました。大きな事故を起こしては、パラグライダーをすることを諦めなければなりません。自分も足の小指を骨折してるから、人のことは言えないのですが。年寄りの冷や水にはならないように注意しながら、なるべく安全な機体に乗り、無理なことはしないように、心して、空中散歩をのんびりと楽しくできたらと思っていました。ただ2004年は多くのベテランパイロットや初心者の方が亡くなられた年でした。GPSで飛行記録を残してカシミール3Dで描いてみたいと思っていましたが、もう飛ぶことはないのかなと思っています。